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秦野市内散策 2022年冬寒の西田原・羽根・菩提

寒い時期は身体が鈍る、気を奮い立たせなければなかなか出かけるのも難しい。ましてやひとりでは、などと言い訳せずに行ってきました。

秦野駅の北口から路線バス「消防庁舎前経由羽根行」のバスに乗り、「西田原八幡神社前」で下車する。

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西田原八幡神社の縁起が次のように紹介されている。

当社は天正五年(1577年)京都石清水八幡宮より勧請された神社で、西田原の氏神として尊崇され、明治五年、八幡宮を八幡神社と改称した。

賽銭箱の上の鈴を鳴らす麻縄は、神社のすぐ裏手にあるゴルフ場「秦野カントリークラブ」より寄進されたようだ。

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続いて近くにある古刹「香雲寺(こううんじ)」。

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秦野市観光協会の紹介記事をコピペしました。

香雲寺は、1564年(永禄7年)に大藤政信(おおふじまさのぶ)が羽根村の春窓院を移して再興したものです。1591年(天正19年)には徳川家康から寺領5石の朱印を受けています。 本堂裏山の中腹に、大藤氏の2つの墓があります。
境内の鐘は、1629年(寛永6年)の鋳造で、「大藤秀信」の名が記された古いものです。

※ 大藤氏
大藤氏は「北波多野」一帯を所領とし、戦国大名北条氏の足軽大将・中郡郡(なかごおりぐん)代として活躍しました。1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めの際に、大藤長門守の守備した相州田原の城が、東方の堀ノ内にあったといわれています。

入口から本堂まで続く、約200mの参道の両側には白梅が連なり、入口から本堂を見ると梅の花のトンネルのように見える、と紹介されている参道の白梅はほとんど咲いていない。

わずかに数本の紅梅が良い香りを放っていた。

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先ほどのバスルートの終点「羽根」のバス折り返し場所がある。

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少し歩き、葛葉川に沿ったルートに出た。この川もここまで上流になると水無川だ。

 

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葛葉川に合流してくる川や沢が見える・

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この先に秦野市立北公民館があり、今日の寒空ウォークはここまでで終えた。



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喪中雑感 (2022/ 1/ 9)

昨年の暮れに身内の不幸があり、喪中の正月が明けた。

暮れに身内の病状が重篤なことを、とあるお仲間にメールで伝えたところ、「無駄な心配だ。返信不要」(要点だけ)とのこと。

結局、不幸なことに年内に葬式まで執り行うこととなったが、グループの代表であるそのお仲間からは通夜の当日に電話があり、私から「本人は息を引き取った。いま葬儀の準備をしている。」と伝えたが、そのお仲間曰く「それは大変だね。」とだけで電話を終えた。こんな始末だったので葬儀にはグループの誰一人として会葬がなかった。

一方、別のグループへはおひとりの方から顛末と葬儀日程などについてお尋ねがあり、多くのお仲間が通夜と告別式に会葬された。依然としてコロナ禍にある状況なので、積極的に会葬していただくことを示唆したわけではないが、やはり会葬していただきお悔やみや励ましの言葉を頂くというのは勇気づけられるし、心温まることだと痛感した。


年が明けて、私の身内の不幸や葬儀が済んだことなど、この間の事情を事後に知ったお仲間からお悔やみと激励のお電話を何件か頂いた。やはり直接言葉で伝えられるメッセージというのは心に響くものがあり嬉しく思った。

一方、電話でなくLINEでお悔やみを書き綴ったメッセージの最後に「返信は不要でございます」とあった。


冒頭のメールで受けた「返信不要」と合わせて、考えさせられました。そもそも返信するかしないかは当方が決めるもので、メールなどの発信者が要請すべきものではないということだ。

もっとも、仲間同士のノリだけで送受信しているような場合は「返信不要」というメッセージは何ともないが、相手の心情が不安定な状況に思いもはせず「返信不要」などと投げるは粗暴すぎるし、失礼極まりないと思った。



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