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猛き人もついには滅びぬ

 大河ドラマ「平清盛」、ドタバタと幕引きの最終回だった。平家物語に綴られた“諸行無常”がもっとも切なく展開するはずの平氏一族の終末劇はあっけなくスクラップされ、頼朝と義経の確執とその終末が付録のようにまとめられていた。こうして低視聴率と評された50回の放送が終わった。そもそも“滅びの美学”などといわれる平家物語は現代の大衆娯楽の象徴的番組のNHK大河ドラマには相応しくないのかなどと思いながら最終回まで見てしまった。
 主人公である平清盛像は「平家物語」を軸に描かれたのだろうが、吉川英治著「平家物語」では、「背のわりに頭が大きい。耳、鼻、口、造作すべてが大振りなのがこの男の特徴だった。眉毛は太く、それに伴う切れ長な目じりが下がり気味に流れているため、いささかは愛嬌もあって、あやうく”異相なる小男“の残忍さを救っているという容貌である。いや、それと色が白いことである。大きな耳たぶが、血のたれるばかり紅々としているのも、この青年の、異相ながら、美しさの一つと数えてよい。」と描かれていて、まさに現代では猟奇的な犯罪者に特徴的な異相とも読める。しかし、主演した松山ケンイチはいかにメイクしても彼の端正な相貌は隠せず、敵対勢力に対して容赦のない処断を繰り返した狂気の晩年の演技には相当な苦心があっただろう。
 一方では、藤木直人が演じた西行法師(佐藤義清(のりきよ))が最も印象深い存在だった。「武士として清盛とともに北面の武士で活躍。歌に通じ、武芸も闊達、妻子をもち順風満帆な人生であったが、ふとしたことで鳥羽上皇の妃・璋子(たまこ)と関係を持ってしまう。それがきっかけとなり出家。エリート武士の将来を捨て、漂泊の人生を歩む。生涯を通じて清盛の親友となる。」と紹介され、「平安の世に悲しみを覚え、時代を目撃した歌人」という役どころだった。女優・檀れいが演じた鳥羽上皇の中宮・璋子(待賢門院)は美しかった。西行の人生を大きく変えた17歳年上の女性・璋子の波乱の人生だけでも興味つきないドラマになると思う。
 ところでこのドラマでは取り上げられなかった同じ時代の、西行とは似て非なる男がいた。その名は文覚(遠藤盛遠)といい、若い頃は平清盛や佐藤義清(西行)と同じく北面の武士であった。ある時、その盛遠が同僚の妻・袈裟御前(けさごぜん)に横恋慕し、挙げ句の果てに袈裟御前を殺めてしまう。失意の盛遠は墨染めの衣に身を包み、雲水「文覚」となった。その後、伊豆に流され、旗揚げ前の源頼朝に決起を促したなどとの逸話もあり、なかなかの策謀家でもあったようで、文覚上人とも呼ばれるが、上人いう高僧に与えられるという称号は何かの間違いだろう。
 
神奈川県山北町にある洒水(しゃすい)の滝(日本の滝百選)は、文覚が百日間の修行をした所として知られている。ともかく文覚は学無き荒聖人と評されているが、その悪行から伝説も出来、謡曲や浄瑠璃にも取り上げられてもいる。
 文覚と西行の違いについてみると、文覚は前記の通り生臭坊主だが、西行は世俗を超えて花と月・旅と草庵の歌人・生得の歌人(『後鳥羽院御口伝』の西行評・下記)なのだ。
(「西行はおもしろくてしかも心ことに深く、ありがたく出できがたきかたもともにあひかねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」)
 
 そして今日は大晦日、この一年を振り返るというほどのこともないので、テレビに流れ続けている「ロンドン五輪プレーバック」を観ながら、年越しそばを待つとしよう。おっと、BS4チャンネルでは松山ケンイチ主演の「ノルウェイの森」が放送されている。

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ショウ

同感です。
「滅びの美学」や「盛者必衰」の部分はしっかり描いてほしかったと思います。
とても共感を感じる文章で興味深く読ませて頂きました。
by ショウ (2013-01-11 02:12) 

Moderato-JJ

コメントいただき、ありがとうございます。
元来、日本史や古典文学は門外漢でして、テレビドラマなどの親しみやすい媒体を通じて関連する書籍を拾い読みする程度の雑学の徒です。
仕事も辞めて年金生活に入りましたが、身近に投稿材料を探しながら拙文を綴っていきたいと思います。
by Moderato-JJ (2013-01-22 22:38) 

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